木太町散策④ 2つの城のお話前回から更に詰田川を少し遡ると戦国時代に敵対していた木太城と向城の跡がある。 まず見えてくるのは向城跡。 と言っても宅地造成中の土地の向こうに小高い丘があるだけ。 写真の右奥の木が生えているあたり あぜ道を通って登ってみます。...
木太町散策③ 木太天満宮小村田之助処刑所を更に南下。 長尾街道添いの詰田川を超えると大きなクスノキが見えてくる。 栗林から志度に向かう県道272号線からも良く見える大木だ。 高架越えた天野精肉店のとこの交差点あたりといえば分かる人も多いんじゃなかろうか この木の下にあるのが木太天満宮...
木太町散策② 小村田之助処刑場続いてこちら。 水谷内科医院さんと生活道路挟んで少し南。 ちなみにこの道路は「オガタ電器の前の道」と僕ら某配達業者では呼んでいる。 長尾街道から協同病院こえたて春日川堤防添いまで貫いた道で半分ほどにの位置にオガタ電器店があるからこう呼んだ方が分かりやすいとのことだ。案外と道...
木太町散策①泉屋敷跡ついこの前まで田園地帯だった木太町も最近はどんどんどんと田畑が宅地に変貌していっててそれなりに目立っていた史跡も住宅街に埋もれていってる。 こりゃ歩いて探ってみないと車で走ってる程度ではどこになにがあるのかわからん。 近くのスーパーに車停めて買い物して、つ い で に木太町...
日本史でも活躍した讃岐の名族・綾(羽床)氏の居城平安期の源平合戦や室町期の応仁の乱はじめ京の都付近の騒乱で時折、名前が出てくる羽床氏。 讃岐を代表する古代から続く名家中の名家の綾一族の直系だ。 この綾とは景行天皇の皇子ヤマトタケルの命の息子、讃留霊王が讃岐の国主として坂出の城山に定住したのが元とされる。...
四国最北端のパワースポット四国の一番北にある岬は香川県高松市から車で30分。庵治半島のなかほどに位置した竹崎観音岬という。 地元に住んでたら名前くらいは聴いたことがある岬だけど実は言った記憶はない 自転車で行くには坂の上り下りした半島の向こうだし、おまけに道路から岬のある海岸までは急こう配。...
香川県での長曾我部元親冤罪について戦国時代の話として。 香川県のみならず高知県以外の四国では長曾我部元親の侵略で寺や神社が焼かれたと言い伝えられている事が多い その反面、残されている史書では元親の寺社への厚い信仰や領民や家臣への温情などの逸話も多い。 常々、元親への相反する評価にどちらが正しいのかと疑問に思...
仙石秀久(讃岐国主1585年~1586年 トホホ番号1番) センゴクという漫画になったりして結構な有名人だったりする。 若い時から織田信長や豊臣秀吉に仕え、その豪勇で名を馳せていた。 秀吉からは戦線の指揮官などを任されているあたり、勇のみならず智もあり統率力もある人材として見られて...