香川県内に日山とか火山とか日や火の単語が名前に付いた山が点在している。
その土地の人達は昔からこういった山の名前の由来となる伝承を語り綴ってきている。
火山などと言う名前となればかつては火山だったとか実しやかに語られる。
これらの山の由来を確かめるならばその土地の人達の伝承よりもGoogleマップで天上からその位置を見ることだ。
それぞれの山をマーキングすれば見事に一直線に揃っている。
これは1300年前の大宝律令で狼煙台が配置されていた山々なのだ。
当時の日本政府は大宝律令の発布と同時に各地に外敵からの侵攻に備えての築城や狼煙台などの施設の強化を指示している。
大宰府や長門、屋島に城が築かれたのもその命令によるものだった。
外敵が九州沖に現れたならば太宰府などの常駐軍が対処するのは勿論、緊急を都に知らせなくてはならない。
知らせるとなると陸路よりは瀬戸内海から近畿の港まで船で航行した方が速い。
そして船よりも速く先へと急を知らせる方法として狼煙台も設置された。
この香川県での狼煙台跡と考えられる山の位置から当時の都への伝達方法が見えてくる。
観音寺沖の燧灘まで早船がやってきてそれを見た紫雲出山の見張りが狼煙を上げる。
そして善通寺の火ノ山から国分寺の日山、三谷町の日山へと順に狼煙が伝わっていく。
これは船が讃岐平野を迂回して瀬戸内海を進むよりも速い。
狼煙は津田の火山に到達するとそこの港に待機した早船が一路近畿へと出港する。
今でもこの日山のいずれかに登って見れば讃岐の土地は平野が広がり、次の日山(火山)がスッキリと見通せる。
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