香川県での長曾我部元親冤罪について



戦国時代の話として。

香川県のみならず高知県以外の四国では長曾我部元親の侵略で寺や神社が焼かれたと言い伝えられている事が多い

その反面、残されている史書では元親の寺社への厚い信仰や領民や家臣への温情などの逸話も多い。

常々、元親への相反する評価にどちらが正しいのかと疑問に思っていたのだが史実や書き残された歴史書、現代の発掘調査の報告書などを読むにつれてある程度真実が見えてきた。

ここに言う。

    長曾我部元親が寺や神社を焼いたという逸話のほとんどが嘘である

例として大窪寺。

お遍路さんの八十八カ所巡りの結願寺。

つまりは八十八番目の寺である。

この由緒正しい寺の案内板にはこう書かれている。(少し現代風に意訳)

「土佐の盗賊のボスである長曾我部元親により寺が全焼。貴重な宝物から伽藍まで失った」

もしこれが本当なら元親への恨みはあってしかるべき。当時から500年近く経った現代でもこういう案内板が建てられても仕方がない。


しかしこれは真っ赤な嘘なのである。

当時の記録として香西成資という学者が江戸初期に土地の人達から聴いて記録した「南海通記」や長尾町誌など数多くの資料で語られている事実は

三好長治の阿波の軍が寒川氏との戦いで退却する際に焼かれた」


ところがこれはこの寺に限った話ではないのだが江戸時代半ばになってから書かれた寺の記録書で長曾我部元親の所業とされてしまった。

阿波と讃岐の兵がここで戦っている頃に元親はようやく土佐を出て阿波の南方を攻略し始めたばかりである。

後年にここに陣を構えたという記録はあるがその際に焼いたなどとはどの記録書にも書かれていない。(だから長尾町誌にも真実として三好長治の軍に焼かれたと書かれた)

ただ、寺のみが長曾我部元親に焼かれたんだと主張している。

この寺は阿波との県境に位置していて阿波からの参詣者も多い

阿波の人に焼かれたなどという真実は具合が悪かったことは容易に推察される。


そしてまずいことにこの寺の記録を寺自身が訂正しようとは考えないことだ。

寺はとにかく長曾我部元親に焼かれたのだと。そしてそれを否定しようものなら怒り出す。

仏の道とは何なのかと問いただしくなるのである。



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